長崎を訪れると、異国情緒あふれる街並みや美しい港の景色に目を奪われます。
グラバー園、大浦天主堂、出島…
(弾丸ですが一通り全部回ることができました)
どれも人気の観光スポットですが、言わずもがなこの街には、日本を代表する企業「三菱」の礎が築かれた歴史が残っています。
その中心人物こそ、三菱の創業者 岩崎弥太郎 です。
長崎の地を見下ろすグラバー園から時代を築いた先人達は何を思い何を考えたのか…
旧邸宅や跡地を訪れると同じ景色を眺めてそんな風に思いを馳せてしまいます。

下級武士から、現代に続く大会社を創りあげるまでの過程に何があったのか興味が湧いたのでお客様方のご協力のもと岩崎弥太郎氏に関する本を何冊か読みました。(ありがとうございました!)
今回は、ほんの少〜し詳しく、ほんの〜り本格的に長崎と岩崎弥太郎氏の関わりについてご紹介します。
本だけに
・・・。
岩崎弥太郎が長崎で見た世界
土佐藩出身の岩崎弥太郎にとって、長崎は人生を変えた特別な場所でした。
しかし、その道のりは決して順風満帆ではありません。
若き日の弥太郎は、父が理不尽な扱いを受けたことに憤り、江戸から土佐へ戻り奉行所へ抗議しましたが、その行動は役人への反抗とみなされ、皮肉にも弥太郎自身が投獄されてしまいました。
正義感から起こした行動が、自らの人生を大きく狂わせることになったのです。
ところが、この不運が思いもよらない転機となります。
獄中で同房となった商人から、算術や商売の考え方を学び、それまでの「武士として生きる」という価値観だけではない、新しい世界を知ることになります。
もしあの出来事がなければ、後に日本を代表する実業家となる岩崎弥太郎は生まれていなかったのかもしれません。
あの日あの時あの場所で
君に会えなかったら
人生は、その時には不幸だと思える出来事が、後から振り返ると大きな意味を持つことがあります。
弥太郎の人生はまさにそれを教えてくれたようです。
その後、吉田東洋との出会いをきっかけに土佐藩へ登用され、長崎へ派遣されます。しかし、この最初の長崎勤務も決して成功ではなく、資金調達のために無断で帰国したことが問題となり、一度は職を解かれてしまいます。
それでも弥太郎は諦めませんでした。
商売の知識を磨き、経験を積み重ね、やがて再び土佐藩の長崎商会を任されるまでになります。
野心は若い頃から誰よりも強く持っていましたが、すぐに成功したわけではなく、挫折を経験し、遠回りをし、力を蓄えながら、訪れるべき時を待っていたのです。
そして再び訪れた長崎。
当時の長崎は、日本で唯一世界と本格的につながる国際都市で、港には外国船が並び、蒸気船が行き交い、世界中の商人が貿易を行っていました。
ここで弥太郎は、スコットランド出身の商人トーマス・グラバーをはじめ、多くの外国商人と接し、国際貿易の最前線を目の当たりにします。長崎での経験を通して、「これからの日本には海運こそが国を豊かにする力になる」と確信したといわれています。
参考文献等:三菱商事、暁の群像 他
トーマス・グラバーとの出会い
長崎で弥太郎が出会った重要人物が、スコットランド出身の商人トーマス・グラバーです。
グラバーは武器や蒸気船を輸入するだけではなく、日本へ最新技術や海外の情報をもたらした人物でした。
弥太郎はグラバーとの交流を通じて、世界を相手にしたビジネスの考え方や国際感覚を学びます。
その後、三菱は船の購入や石炭事業、造船事業へと発展し、日本を代表する総合企業へと成長していきました。
長崎は、弥太郎が「世界」を知った場所だったのです。
高島炭鉱が支えた日本の近代化
長崎港の沖合には、高島という小さな島があり、ここにある高島炭鉱は、日本初の本格的な洋式炭鉱として知られています。
石炭は蒸気船を動かすための燃料であり、当時は「黒いダイヤ」と呼ばれるほど重要な資源でした。
三菱はこの高島炭鉱の経営に乗り出し、安定した石炭供給を実現します。
自社で石炭を確保し、自社の船を動かし、自社で世界へ運ぶ。
この仕組みを築いたことで、三菱は急速に発展していきました。
現在では当たり前となった「物流」「エネルギー」「製造」を一体で考える経営を、弥太郎は150年以上前に実践していたのです。
長崎から世界へ
長崎港を歩いていると、当時もここから多くの船が世界へ向かって出航していたことを想像します。
岩崎弥太郎にとって長崎は、単なる港町ではなく、海外の文化や技術、人との出会いがあり、日本の未来を思い描いた場所だったのでしょうか。
その後、三菱は海運会社から造船、重工業、商社、銀行、保険などへ事業を広げ、日本の近代産業を支える存在となりました。
その原点は長崎という港町に行き着くのも旅の面白さです。

ちょうど三菱電機エンジニアリングの路面電車でした。車内の広告も全て三菱電機エンジニアリングでした。
旅は人生のヒントをくれる
長崎は、異国情緒や独自文化、美しい景色を楽しむだけに留まらず、日本の近代化を支えた人々の挑戦や苦悩までもが詰まった街でもありました。
不運と思える出来事が、人生最高の転機になることがある。
成功する人も、最初から順風満帆だったわけではない。
旅先で心の琴線に触れたことをメモして後から振り返る楽しさを感じた旅でした。
今回観光名所の話を全くしなかったので、、、
もう少し長崎ブログがつづきます。
つづく!











































